非国民

先日,WBCが日本の優勝で幕を閉じた。


思えばこの大会,アメリカによる,アメリカのための大会であったが,皮肉なことに,決勝に進んだのは,誤審騒動まで起こした末に一度は勝利した日本と,アメリカが忌み嫌い,最後まで出場を阻止しようとしたキューバであった。そして,その決勝戦で激闘の末に勝ったのが日本だったのだ。


しかし,オイラは,テレビの熱狂的な祝杯ムードとは裏腹に,気分はとってもブルーなのです。というのも,オリンピックにしろ,ワールドカップにしろ,今回のWBCにしろ,国際的な大会で日本チームを応援しようという気にはなれないからだ。こんなことを言ったら,たぶん非国民って言われるんだろうなー。まあ,自分でも少しひねくれているなとは思うけど,でも,オイラにはオイラなりの理由があるのだ。


今回の日本チームのイチローなどもそうだったが,国際試合では必ず「国のために」という言葉が頭をもたげてくる。試合の開始にあたっては君が代が流れ,日の丸が振られる。みんなが「ニッポン,ニッポン」と熱狂する。それを見るたびに,何とも言えない嫌悪感にも似た感情がオイラの中に湧いてくるのだ。
「ニッポン,ニッポン」と熱狂して,君が代を歌い,日の丸をブンブン振っている多くの人達は,日本の過去の歴史についてほとんど知らないか,知っていても自民党の政治家のように正当化しているかのどちらかなのだろう。


折りしも,今は卒業式シーズン真っ只中である。
学生にとっても,親にとっても,そして,先生たちにとっても,学校生活の中で一番の晴れ舞台,思い出の場となるはずの卒業式。それが,石原慎太郎率いる東京都の中学,高校ではまるで戦時下を思わせるような強制と抑圧が支配している。


何も考えずに,君が代を歌い,日の丸を掲げる人々がいる一方,過去の歴史を知り,あるいは自らの信条に忠実であろうとするがためにそれを拒否し,罰せられる人々。考えることとはそんなに罪なことなのか。なぜ,考え,行動する人々が苦しみ続けるのか。この日本という国の根っこのところは,まだ少しも変わっていないのではないだろうか。