想像すること

「想像を絶する光景」
テレビや新聞などでよく使われる言葉。
想像をはるかに超える現実。言葉で言うのは簡単だ。


昨日,「灰の記憶」という映画を観た。
ナチス強制収容所で,当時「ゾンダーコマンド」と呼ばれるユダヤ人達がいた。
彼らは,収容所での待遇や,4ヶ月の延命と引き換えに同じユダヤ人をガス室に送り,金歯をはぎ,死体を処理する役割を担わされた。
当時の戦時中の世界にあっても,「想像を絶する世界」がそこにはあった。


当時の収容所の現実を,我々は本当に想像することができるのか?
絶対的な絶望を,自らのこととして想像することが。


同じことは,「ホテルルワンダ」を見たときも,高遠奈緒子さんの講演会で放映されたファルージャの大量虐殺の映像を見たときも思ったことだ。


自分は無力だ。何も知らない。
本当に想像することなんか不可能なのではないのか?


しかし,それでもこう思う。
想像しなければだめなのだと。


想像し,自らの中に呵責の念を持つ。
そうすることによって,自己の正当化をできるだけ排除して,考えることをやめないために。
それが唯一,自分にできることなのだ。