考えることと言語について

「思考が言語を賦活するのではない。むしろ逆なのであり,言語が思考を思考たらしめる。」

「そもそも『思考』とは,機械的に為される活動の対極に位置するものであり,それは本質的に何かためらいのごときものを必要とするようにすら,思われる。」(以上,野矢茂樹著「『考える』ということ」〔『他者の声 実在の声』所収〕から)


最近,言語と考えるということとの関連,あるいはそれら自体について,非常に示唆を与えられているのが,この野矢茂樹東大教授(哲学)の論考だ。


野矢氏は,ウィトゲンシュタインの研究者であり,まさに,思考するということを研究する専門家である。
そして,この『他者の声 実在の声』という本は,野矢氏がいろいろなところで書いたものを集めた評論集のような形になっており,ダブる部分も多いがとても面白い。
ウィトゲンシュタインの理論を引きつつ,思考と言語について,あるいは,思考と論理について非常に平易に書かれていて読みやすい。


特に,論理と思考との異動についての論考は「なるほど,そうか」と思わされる。その一端が,先に挙げた記述である。


これから,何かと野矢氏の議論を参考にすることが多くなることでしょう。
今度の学習会でも3つほど紹介するつもりです。