血液型

ちょっと久しぶり。
最近は,仕事中でも,面白いこととかふと考えたことを,「これブログのネタにしようかな?」と思うようになった。オイラもいっちょまえのブロガーということでしょうか(^0^)


さて,今日は,血液型について日々思っていることを書きたいと思いやす。
テレビを見ているとほぼ毎日,同年代の人たちと話していても,いや,中年の人でもあまり変わらないが,恋愛とか人間関係の話をしていると,たいてい出てくるのが血液型性格判断だ。
「●●さん,A型でしょ?すごい几帳面そうだもん。」,「この人はマイペースだから,絶対B型だよ。」などといった(ちなみにオイラは,何型がどういう性格を持っていると言われているのかあまりしりやせん),血液型でその人の性格というか,人柄というか,そういうものを表現しようとする。これは,会話のきっかけを作ったり,あるいは,話を盛り上げようとしたりしてやる場合もあれば,本当にそれを信じていて,恋人も血液型で選ぶという人まで,その強弱はいろいろだ。ただ,ひとつ言えるのは,あまり血液型性格判断を信じていない人でも,血液型で性格が判断できるという主張には(たとえそれがすべてではないにしても)一理あるのではないかと思っているということだ。これは,何も普通の人や観念論者だけの話ではない。自分は唯物論者であると思っている人でも,結構こういう人がいる。いや,むしろ唯物論者の方が,一度はまるとタチが悪いかもしれない。というのも,この血液型性格判断というのは,一見,科学的な装いをしているからだ。


では実際どうなのか?
その問いに答えるのに大変参考となるのが,「超常現象の心理学―人はなぜオカルトにひかれるのか―」(菊池聡/平凡社新書)という本だ。この本は,大学で心理学を教えている先生(当時は助教授だったが,もう教授になっているかな?)が,素人にもわかりやすく,オカルトの原理,思考方法を解説してくれている。この本の中で菊池さんはずばり,こう述べている。

「この件(血液型論者がいうような血液型と性格との関連性)に関しては,専門のトレーニングを受けた心理研究者の見解は,ほぼ100%一致している。『現在のところ,血液型と人の性格(や相性)との間に,血液型論者の言うような信頼性のある関連はみあたらない』というのが結論だ。」

菊池さん曰く,このテーマは,実は戦前(昭和2年(1927年))から研究が行われていて,その歴史は結構長いが,結局,血液型と性格との間には,血液型論者が言うような関連性は見つからなかったということだ。

ただ,ここで注意しなければならないのは,血液型と性格の間に「なんらかの関連が存在する」ということは絶対に否定できないということだ。なぜなら,範囲を限定せずに,「存在しない」ことを証明するのは不可能だからだ。菊池さん曰く,「この世に白いカラスは存在しない」という命題は証明できない。なぜなら,1万匹調査して証明できたとしても,1万1匹目にいるかもしれないからだ。可能性は必ず残るからだ。血液型論者はここを突いてくるんですねー。


また,菊池さんは,人びとが血液型性格判断を信じてしまう理由についてこう説明している。


「人は何らかの判断を行うとき,さまざまな情報を適切に利用するのではなく,自分の考えに合致する有利な情報を選択的に使用する傾向を持っていることだ。これを予期の確証傾向と呼ぶが,このためにステレオタイプだけでなく,ジンクスや迷信といったものも強化されることが知られている。」

これを読んで,オイラは,「なるほどなー」とため息が出たのであります。
こういう良心的な学者がもっともっと必要だよね。菊池さんも言っていることだけど,とかく研究者というと,象牙の塔に閉じこもり,マニアックな世界に入り込んで自らの実績作りだけにまい進する人が多くて,素人に対して分かりやすく説明してくれる人って少ないと思うんだよね。血液型性格判断なんて,研究者からみれば馬鹿げていて反論する気にもならないということなんだろうけど,そういう態度が,ここまで,血液型性格判断を流布させてしまったんですな。

確かに,話の種としてはかなり使えるアイテムだから,そこまで目くじら立てて批判する必要もないではないかという意見も多いと思うけど(オイラも,盛り上がっているところになかなか冷や水を浴びせるのは難しいです),菊池さんは,こういう些細なことを放置しておくと,より大きな差別につながることを恐れているんですよね。無知や偏見からくる差別というのは,なかなかなくなりませんが,自らにある,そうした無知や偏見を少しでもなくす努力をしていきたいもんです。