複雑性の解

今年の1発目でございます。
昨年は,思いがけず転勤先の大阪から帰されて,人生設計が多少狂いましたが,まあ,今から考えれば,あのタイミングで帰ってきたのはむしろ良かったのかなと,開き直って考えるようにしておりやす。
今年はどんな1年になるやら。まあ,マイペースにやっていこうと思っておりやす。


さて,本年1発目のブログは経済問題をちょっと書こうと思います。
というのも,今,大統領予備選挙の真っ只中の米国のサブプライム問題を契機として,世界の金融,商品の流れ,経済構造の変化の問題がいたるところで報じられているからであります。


今世界では,年間貿易総額(約1200兆円)の約百倍の金融取引が行われているそうだが,こういう問題を考えるとき,オイラはいつもあることを思い出す。それは,金融,まあ貨幣と置き換えても差し支えないと思うが,貨幣と商品との関係のことだ。


オイラが,政治や経済に関心を持って新聞やテレビを見始めていたその昔,日本で80年代後半に起こったバブル景気ということがうまく理解できないで苦しんだことがある。というのも,「バブル」という言葉というか,現象が理解できなかったからだ。「バブル」とは泡という意味だということは英語辞典を引いて理解したけど,「泡」の景気ってどういうことだ?何が泡なのか?全然わからなかった。そして,その対義語としてしきりに使われていた(現在でも使われるが)言葉が「実体経済」という言葉だった(まあ,この言葉自体,言っている人がどこまで理解して使用ているか,そもそもこの言葉が正確なのかどうかもあやしいところだが。)。実体って何?うーん,よう分からん。
でも,そのころは,とにかくそういう言葉を知っていればなんとなく分かったつもりになっていて,かつ,試験とかには言葉を当てはめればなんとかなったので,そこまで深く考えることなく,お座なりになっていたのです。
でも,日本や世界で不況やバブルが話題になるたびに(例えば,日本における97,8年ころの金融危機や米国におけるITバブルの話など),「うーん,うーん」と考えていたものだす。


それが,一気にスーッとなったのが,マルクスの「資本論」を勉強したときでした。周知のとおり,マルクス資本論の冒頭で商品の解明からはじめている。そして,単純な商品取引から説明して,貨幣の発生,そして,資本への転化へと話を進める。いやー,このときの興奮と言ったらありませんでしたよ。ほんとに。この時期には,弁証法唯物論に触れ始めたところだったから,ほんとに日々,知的変革というか,自らの思考の枠がガガガと組み立てられていく,そんな経験の毎日でした。
そして,ここで理解したひとつのことは,貨幣とはあくまでも商品の使用価値の反映であるということ。言い換えれば,商品があって初めて貨幣があるということだ。このことは,とっても単純で,そんなの小学生でも分かるよというような理屈だったが,しかし,このことを改めて認識させられて,オイラの視界は一気に開けたのであります。


というのも,バブル,バブルといわれていた,あの現象の真の意味が分かったから(それと一体で実体経済の意味もね)。つまり,バブルとは,商品の,あるいは,実態を伴った生産活動の裏づけを持たない,いわば架空の取引だということ(つまり中身がない泡,風船みたいなものですな。)。なんか,みんなが景気がいい,景気がいいと言って羽振りのいいことを言って,じゃんじゃんお金を使いまくっていたけど(企業はバンバン乱脈経営をやっていた),その実,行っていたことは,何かを生産し,販売して収益を挙げていたのではなく,ただ,土地だとか,絵画だとか,株だとかを右から左へ売り流して,その差益を稼いでいただけだった(一時期はやった「右からきたものを左へ受け流す〜♪」じゃないけどね)。
そして,そうやって架空に膨れ上がった(つまり商品の裏づけのない)「○○価格」の上昇のスパイラルが,当時の政府の失策によって強制的にシャットダウンさせられて,一気に不の循環(みんなが「大変だ」と言って一斉に自分の資産を売り出して土地や株の資産価格が急暴落)をたどり破綻したのが「バブル崩壊」だった。


本来なら,貨幣というのは商品の反映だから,商品からめちゃくちゃ乖離してしまったらそれは架空のものでしかない。だって,そもそも,貨幣というのは紙切れ,商品の価値を対象化した「数値」でしかないんだからね。貨幣そのものになんら「価値」といったものは存在しないのだから。
でも,この世界では,人々の目が転倒させられて,あたかも貨幣が独立に,先にそこに立っていて,商品が後景に退いているような概観を呈するのです。


米国のサブプライム問題もまさにそういうことだよね。
そもそも,住宅を購入できるような収入のない人に最初の数年間は低利で資金を貸し付けて,その住宅を担保に(住宅価格が上昇するということを前提に)人々は自らの収入以上の買い物をしていた訳だから。こんなことが長続きしないということは,ちょっと考えただけでもすぐ分かることなのに,米国のように新自由主義が主流を占めているような国では,「著名な」経済学者とか,アナリストなんかがもっともらしい理屈をつけては善良な庶民を罠にかけますからね。一部では,こういうことは米国では初めて起こったみたいなことを言う人もいるけど(確かに,貸出債権の証券化という手法でリスクが世界中に拡散したということはあるけど,それは今回の問題を論じる上で本質的な問題ではないと思う。),そんなはずないでしょう。今回と同じような問題は過去にもいくらでも起こってますよ。銀行が庶民を欺いて暴利をむさぼるという構図はね(日本のバブルの時もそうだったけど,メリルやシティを初めとする銀行も相当資産を毀損しているけどね。)。だけど,問題が起こる度に,それを煽った連中は変な屁理屈を付けては自己正当化に走るからね。困ったものです。


しかし,世界経済というより大きなスケールで見ると,今回は,以前の状況とだいぶ違うというのもあながち嘘ではないというか,むしろ,劇的に世界の構造変化を際立たすきっかけとなったことは確かでしょう。
それは,中国やインド,欧州や南米といった経済発展著しい諸国の台頭に関連しての,米国の相対的な経済的地位の低落が,一気に噴出,表面化したということ。これはかなり大きなことですよ。今までも,米国の経済力の衰退は進行していたけど,そこは,機軸通貨を発行している唯一の国という立場でなんとか偽装していた。でも,いまや欧州のユーロや中国の元,日本の円など,ドルに代替する通貨がぐんと力を増してきた(これはつまり,各国の経済力が非常に強力になってきたということ(日本はカッコ付きだと思うけど))から,もう,そういう訳にはいきません。


1971年だったかな,ニクソンショックが起こるまでは,アメリカのドルは金の裏づけ,つまりはちゃんとした「価値」の裏づけ(まあ商品の裏づけと考えても良いですね)があったから,ドルが機軸通貨になるにはそれなりの根拠があったけど(アメリカの経済力に比肩するものがなかったからね),今はそんな根拠何もありませんから,はっきり言って。みんながとりあえずドルが流通しているからドルで決済しようかといったぐらいの理由だからね。だから,ドルは信用ならん,危ないんじゃないか,ということになったら一気に他の通貨に流れますよ。それは,そうでしょう。だって,ドルじゃなくても,商品と引き換えができる通貨であればいいんだから。そして,こうなったら大変です。だって,今までは米国はドルが機軸通貨だからこそ,大きな借金(経常収支の赤字と財政赤字)を抱えていても海外から商品を大量に買うことができたのに,もうドルでは商品を売りませんとなったらどうなりますか?米国は借金を返せなくなってしまいますよ。米国の破綻です。いやー,大変ですね。


こういう文脈で見ると,今回のサブプライム問題を契機として起こっている一連の問題は,これからの50年,100年の世界の政治,経済のあり方を方向付ける,極めて大きな問題になることでしょう。


今年からの世界の動きは,本当に歴史的に重要なターニングポイントになるかもしれません。
そして,米国では大統領選挙があり,おそらく日本では総選挙があるでしょう。なんとまあ,タイミングの良い。
歴史って不思議ですねー。
という中途半端な終わり方でまた今度。
ちょっと書き疲れました(^0^;


「貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際に等置され、それゆえ実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。交換の歴史的な拡大と深化は、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を発展させる。交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立的形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立的形態が最終的に達成されるまでとどまるところを知らない。それゆえ、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合いで、商品の貨幣への転化が生じるのである。」(「資本論①」149頁(新日本出版社))