ちょい久しぶりの更新になりました。


というのも,16日〜20日まで北海道に旅行に行っていたのです。
院の友人に誘われて,札幌,小樽,旭川等に行ってきました。


今回の旅行は,行くかどうかかなり迷ったけど,結果として行って大正解でした。
鬱々と大学で勉強をしていたら,なんだか精神的にちょっとヤバい感じになってきてたんですが,そこに友人からの誘い。
先日も書いたけど,その時に村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでいたのも大きいかもしれません。
小さいことをうじうじ悩んでいるよりも,気分転換をして,ガッと集中してやることも必要だ,と考えられるようになりました。


さて,北海道旅行ですが,今回行って非常に良かったのは,以前から行きたいと思っていた小林多喜二の故郷・小樽に行けたこと,また,旭川三浦綾子記念館に行けたこと,それから,院で一番仲の良い友人の家族や周囲の人たちと交流できたことや札幌にいる大学時代の友人家族に会えたこと,そして,何よりでかい北海道を体感できたことでした。


1日目は,出発が遅く,夜の7時くらいに札幌に着いたので,とりあえず札幌の歓楽街すすきのを見て,大通公園のテレビ等を写真に撮って,そして,コーンバターらーめんを食べました。
時間のない初日としては,まずまずの滑り出しでした。


2日目は,小樽に行きました。
小樽は,小林多喜二の作品や三浦綾子の『母』を読んで以来,一度は行ってみたいところだったので,とても良かったです。
小樽は,札幌から特急で30ほどと,割と近いんですね。
小樽に近づいていく途中で,電車が海岸線を走るのですね(ホントに海の近く。日本海の荒々しい海が間近に見えました。)。
そして,線路が海の方に斜めになっているところがあって,電車の中から見ていると地面が見えなくなって,ちょっと海の中を走っているような感覚になったりして,不思議というか幻想的というか何とも言えない感覚を味わいました。
そして,電車から見える海を見ていてちょっと想像しました。
小林多喜二が生きていた頃の時代を。
もちろん,建物も綺麗になっているし,電車だって綺麗だし,その頃とはまったく違う風景なんだろうけど,だけど,時折ちょろちょろとその当時を思わせるようなおんぼろのほったて小屋みたいなのがあるのです。
それを見て,想像するのです。
人間は自分が見たものを土台としてしか想像できない生き物ですから,やはり現場に行ってみることは非常に大事だなと思いました。
小樽に着いてもそれは同じ。
街はすごく綺麗になっているし,観光地化されているけど,そこここに想像の土台となる建造物や街並みがあります。
色々な土地に行くことによって,いかにその土地やそこに生きた人々の歴史に思いを馳せることができるか。
それが大事なんだろうと思います。


小樽では,定番の小樽運河を見て,昔「北のウォール街」と言われた旧金融街の歴史的建造物を見て,そして小林多喜二の展示などがある,小樽市立文学館を見に行きました。
小樽市内は結構観光客がいたのに,文学館にはほとんど人がいませんでした。
ゆっくり見れたからそれはそれでいいのですが,なんだかねー,観光客の人たちは何を見に来ているのでしょうか。
まぁ,人が観光に求めるものはそれぞれであっていいとは思いますが,綺麗なものや有名なもの,立派なものを見るだけが観光じゃないと思うのですがね…。
それは,京都に住んでみてもつくづく思うことです。
桜や紅葉の季節にとても混むけど,正直,そういう綺麗な京都はオイラにしてみたらどこか嘘っぽい。
京都の歴史や文化を感じようと思ったら,むしろそれとは真逆な冬とかに来たほうがよっぽど想像力を掻き立てられると思うのですがね。
こういうことを人に話しても,あまり共感されませんが(^ー^;
まぁいいや,ということで小樽はそんな感じでした。
あぁそうそう,お昼に入ったお寿司屋さん(小樽はお寿司が有名らしくて,お寿司屋さんの通りがありました。そのうちの一軒に入って三色丼(うに,いくら,甘エビ)を食べました)の大将(ここの大将が良い人で,おごりで注文以外に色々握ってくれました。)が言っていたんだけど,旭山動物園ができてから小樽の観光客がかなり減ったらしいです。ちょっと切ない気分になりました。。。



3日目は,旭川の友人の実家にいきました。
その友人とは院で一番仲の良い友人なのですが,その家族と友人の恩師などとジンギスカンをご馳走になりました。
その友人は紆余曲折を経て大学に進学したのですが,その変遷が聞けてとても面白かったです。
また,お父さんが旭川大自然も見せてくれて,北海道の大きさを実感しました。
それと,旭川でとてもよかったのが,三浦綾子記念館に行けたことです。
三浦綾子の率直で真摯な言葉の数々を読んでいたら,「赦し」の意味が少しだけわかったような気がしました。
純粋にそして正直に自らの生を生き,そして人間とこの人間社会を愛した三浦綾子の生涯に触れられたことは,本当に大きな経験でした。
もちろん,三浦綾子の真似をする必要もないし,そんなのできっこないけど,そういう偉大な人を目標に置くというか,少なくとも頭に留めておくだけでも,自らへの戒めになるのだと思います。それはある種の宗教的心情を自分の中に形成することだと思うけど,そういう心的状態は悪くない,というか必要だなと思います。


4日目は,大学時代からの親友が札幌に転勤で住んでいるので,彼の自宅にお邪魔しました。
彼は結婚していて(旭川の友人も結婚して子供もいますが),オイラと同じ歳なのに子供がなんと3人(4歳,2歳,7か月),しかもみんな女の子!すごいね,ホント。
子供たちがオイラの来るのを楽しみにしていてくれたらしく(この前行ったときは,上の子がまだ2歳だったからそんなに覚えているはずもないんだけど,友達がオイラのことをかなり話していたみたい),着くなり「遊ぼ,遊ぼ」ってせがまれました。
友人は大学時代,いつもオイラのことを「ナベ」と呼んでいたので,子供たちもオイラに「ナベしゃん,ナベしゃん,遊ぼ,遊ぼ」と言って,キャーキャー騒いでました。
もうホントにかわいくて,これでもかってくらい一緒に遊びました。
家の中で追っかけっこしたり,肩車したり,公園でワイワイ遊んだり。
子供は,こっちが愛情を注げば注いだだけ素直に表情に出してくれる。
それが本当に嬉しくて,癒された。
別れ際,「やだー,やだー」って言って大泣きして,思わずもらい泣きしそうなくらいでした。
人の子にしてこうなのだから,自分の子供なんかができたら,相当ヤバいでしょうね。
まぁ,そういう日がきたらの話ですが(^ー^;


そして,最後に今回の旅行をとても充実したものにしたものについても言及しない訳にはいきません。
それは,北海道とは直接関係がないのだけれど,村上春樹の『海辺のカフカ』を読みながらの旅だったということです。
電車の中,飛行機の中,待ち時間,小樽でふらっと入った喫茶店の中,そして,寝る前のひととき,合間合間を見て少しずつ,しかし,着実にこの至極の小説を読んでいきました。それは,オイラに思索する素地を与えてくれ,そういう精神状態で色々なものを観ることができました。
今までにもそういう経験があったのかもしれないけど,今回ほど,文学と旅というのがリンクした時はなかったように思います。
海辺のカフカ』は,小説の分野においては,三島由紀夫を読んだとき以来の知的興奮を覚える作品でした。
それは,先日も書いたと思いますが,物語の本質の押し出し方,細部へのこだわりが如実に見えるその文体,言葉というものの本質を理解している人間でなければ表現しえないような表現の仕方,そのどれを取っても,村上春樹の実力をこれでもかというくらい味わうことができました。
友達から『1Q84』も勧められているので,是非,今後読んでみたいと思います。


いずれにしても,今回の北海道旅行は本当に充実した旅でした。
忘れえぬ思い出となるでしょう。