平等院鳳凰堂

昨日,宇治の平等院鳳凰堂に行ってきました。


極楽浄土の宮殿をモデルにしたという鳳凰堂は,確かに何とも幻影的な趣がありました。
昨日は,あいにくの雨でしたが,それがまた,その幻影的な雰囲気を演出して,想像の世界に浸ることができました。


鳳凰堂が建立されたのは1053年ということですから,かれこれ1千年が経つのでありますが,現代の世は,当時の世界とは比べようもない科学技術の発展や,社会技術の発展が見られ,非常に高度な社会になったような気がします。


しかし,そのような世界にあっても,やはり人間が求めるものは,究極において,ほとんど変わりないのだろうななどと,雲中供養菩薩像などを見ながら,またまた具にも付かないようなことを思っていました。


当時の世界も,今の世界も,人間がこの社会を生きていくのはとても大変なことです。
そこには,喜びや感動ももちろん多いですが,苦しみや悲しみも,それに劣らず多いものです。
人間の,幸せに,平安に生きたいという願望は,苦しさ,不安が増す社会だからこそ,大きなものになるのですね。


この世に望むと望まざるとに関わらず産み落とされた人間は,それを自ら慰めるように色々と考えます。
外から見ると,何ともかわいそうというか,健気な存在だと見えることでしょうね。


まぁ,何はともあれ,行ってみてよかったです。